校長日誌 3学期始業式
1月8日(水)
本日1限に3学期始業式を行いました。体育館での寒さやインフルエンザ等の流行等を考慮してリモートで実施しました。その後、1・2年生は課題テストを行います。3年生は、LHRと大学入学共通テスト関係のガイダンス等を行う予定です。
校長講話を行った後、進路指導主事の越後先生からの講話を行いました。越後先生の話の中では、私も以前読んだことのある「科学的根拠に基づく最高の勉強法」安川 康介著の紹介がありました。特にその中で「アクティブリコール」と「分散学習」の話があがっていました。一度読んだ内容であったので、あの事だなとすぐに思い出すことができました。皆さんも是非参考にして欲しいと思います。
校長講話の概要は以下の通りです。
あけましておめでとうございます。校長の石川です。
今年の「干支(えと)」は「乙巳(きのと・み)」になります。
本来「干支(えと)」は「十干十二支(じっかんじゅうにし)」を略した呼び名で、「十干」と「十二支」の組み合わせて60通りの年号を作り出す古代中国で生まれた暦法です。十干は「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」の10種類、十二支は「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の12種類があり、順番に組み合わせて決まるので、10と12の組み合わせになるので60通りのパターンがあり、60年に1回巡ってくるものです。60年に1回暦が巡るので、60歳の時を還暦といいます。また、2025年の乙巳は、上位の60通りの中で42番目になります。
今年の「乙巳」の干支でいう意味は、「乙」は「軋」を意味しています。陰陽五行説では木の陰のエネルギーを表し、植物が成長し広がっていくような意味合いです。柔軟性や協調性を象徴し、周囲との調和を保ちながら自身の目標に向かって進んでいく力を表しています。「巳」はヘビを意味しますが、神聖な生き物として崇められてきました。脱皮を繰り返して成長していくさまから、復活と再生のシンボルとして縁起の良い生き物なのです。そこで「乙巳」は、物事が順調に進む年と言われます。しかし、時には困難に直面することもあるかもしれません。そんな時は焦らずに粘り強く取り組む姿勢が重要です。自分のペースを保ちながら着実に前進することで、最終的には望む結果に近づくことができると思います。皆さんにとっていい年になるといいですね。
ここで一つ話をしたいと思います。
皆さんは「STEAM教育」という言葉を知っていますか。
AIやIoTなどの急速な技術の進展により社会が激しく変化し、多様な課題が⽣じている今⽇においては、これまでの⽂系・理系といった枠にとらわれず、各教科等の学びを基盤としつつ、様々な情報を活⽤しながらそれを統合し、課題の発⾒・解決や社会的な価値の創造に結びつけていく資質・能⼒の育成が求められています。
元々あったSTEM(Science、 Technology、 Engineering、 Mathematics)教育にAを加えて、STEAM教育となったものです。新たに加わったAの範囲を芸術、⽂化(Arts)のみならず、⽣活、経済、法律、政治、倫理等を含めた広い範囲 (Liberal Arts)で定義し、推進することが重要であるとしています。
文部科学省では、STEAMの各分野が複雑に関係する現代社会に生きる市民、新たな価値を創造し社会の創り手となる人材として必要な資質・能力の育成に向け、各教科等での学習を実社会での問題発見・解決に生かしていくための教科等横断的な学習を推進しようとしているのです。このことを、皆さんも毎週取り組んでいる総合的な探究の時間などで実施しようとするものです。年末には日本薬科大学を会場に県立高校生が1,000名以上参加した探究活動生徒発表会を見てきました。来年度は本校からも参加したいと思います。
文系・理系という区分は昔からあったわけではなく、大学受験が受験戦争といわれるようになったころから、効率的に受験勉強をするために分けるようになったのです。
先日、2年生の国語の授業見学の際に、森鴎外の「舞姫」を学習していました。皆さんも知っていると思いますが、森鴎外は、本名を森林太郎といい、日本の明治・大正期の小説家として有名です。現在の東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年間を過ごしました。帰国後、小説「舞姫」をはじめとする様々な作品を発表する一方、同人たちと文芸雑誌「しがらみ草紙」を創刊して文筆活動に入ったそうです。その後、陸軍軍医総監(=陸軍中将相当)として日清戦争出征や小倉転勤などにより創作活動から一時期遠ざかったものの、「スバル」創刊後に「雁」などを発表しています。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「高瀬舟」など歴史小説や史伝なども執筆しています。陸軍を退いた後は宮内省に転じ、帝室博物館総長や図書頭を死去まで務めたほか、帝国美術院初代院長なども歴任しています。
皆さんの知っている森鴎外は、小説家であり陸軍の軍医であったので、今でいう文系と理系の両面で活躍していた人だったのです。
また、陸軍軍医総監時代のエピソードがあります。
「脚気」という病気があります。かつて日本では「国民病」といわれるほど流行した歴史があり、脚気にかかると、神経の障害によって手足が麻痺し、しびれなどを引き起こします。重度になると、心臓に障害を起こして死亡することがある病気です。
江戸時代、玄米に代わって白米が徐々に普及するにつれ、脚気が広まり始めました。その原因は米の胚芽に多く含まれるビタミンB1が、精米によって取り除かれてしまうからだした。その上、当時は副食も乏しく、そもそもビタミンB1は欠乏しがちだったのです。当時はビタミンの概念などはなく、脚気は原因不明の奇病とされ、白米がいち早く普及した江戸に多かったことから、「江戸わずらい」などとも呼ばれていました。
明治時代以降は脚気の流行がさらに拡大し、年間1~3万人が脚気で亡くなっていました。特に、同じ兵食を食べる軍隊内では脚気によって兵士が次々と亡くなり、国家を揺るがす大問題になりました。戦傷者より脚気患者のほうが多く出て、壊滅状態に陥る隊すらあったということです。
海軍軍医の高木兼寛は、脚気の原因が食べものにあることをいち早く見抜き、兵食に麦飯を取り入れ、海軍の脚気を激減させました。イギリスに留学経験のあった高木は、イギリス海軍に脚気がないことに注目し、洋食が解決の鍵であることに気づいたのでした。
一方、陸軍軍医であった森林太郎は、脚気は「脚気菌」による細菌感染症であるとする説にこだわっていました。当時、ドイツで細菌学が隆盛し、世界をリードしていました。東京大学からドイツに留学し、最先端の医学を学んだエリート軍医の森にとって、高木の経験則に基づく治療は非科学的に映ったのかもしれません。麦飯が有効とする説が広まると、対抗するようにますます「細菌説」に固執しました。当時の陸軍の兵食は一日に白米六合であり、副食は乏しく、皮肉にも脚気のリスクが極めて高い食生活でした。
その結果、日清戦争では4000人以上、日露戦争では2万7000人以上の陸軍兵士が脚気で死亡した一方、海軍兵士の脚気による死亡は日清戦争でゼロ、日露戦争ではわずか3人であり、海軍の兵員数が陸軍より少ないことを差し引いても、凄まじい差であったのです。
1911年に、化学者、鈴木梅太郎が、脚気に効く物質を米糠から取り出すことに世界で初めて成功し、これをオリザニンと名づけました。しかし、日本語論文での発表であったため、世界的には広まらず、その翌年、ポーランドのフンクによって「ビタミン」が発見され、ようやく脚気はビタミン欠乏症の一つであることが認知されたのでした。
科学論文を発表する際に英語が必要なのは今も同じです。ですから、理系に進んだ人も英語の大切さを忘れないでください。逆に英語が得意な人は科学者の研究チームに入れば仕事に事欠かないともいえると思います。
進路指導部の越後先生から「全教科学習」という言葉が出ますが、成長途中の、皆さんにとってどの教科も大切なのです。
冬休みも終わり、3年生にとって来週末は「大学入学共通テスト」です。これまでやってきたことを振り返り、自分の中で長期記憶化してきた知識の成果を発揮してください。そして、そのあとに続く、私大や国公立大の二次試験に向けて、蓄えてきた力を出し切ってください。学問に王道はないと言います。自分がやってきた努力を信じて、自分のNEXT STAGEに挑戦してください。また、1・2年生も1年後、2年後に自分たちの時が来ます。千里の道も一歩からです。日々の努力を大切にしてください。私からは以上です。